学校概要
北海道教育大学附属釧路義務教育学校は,令和3年4月1日から施設分離型の義務教育学校として新たな一歩を踏み出すことになりました。
その前身である附属釧路小学校は,昭和43年に開校し,児童の主体的な学びの実現とたくましく生きる力の育成に向けた教育研究を積み重ねてきました。
附属釧路中学校は,昭和44年に開校し,授業や学習の最適化,生徒の主体性や生きる力の育成に向けた教育研究を積み重ねてきました。
平成26年~30年にかけては,小中一貫教育を志向して小中合同の研究に着手し,「自ら学ぶ意味を創造できる児童・生徒の育成」をテーマに,小中一貫カリキュラムの開発に取り組んできました。
北海道教育大学では,北海道教育委員会と連携して北海道の教育課題に対応した教員養成に取り組んでいます。道東の教育課題と求められる解決の方向性について,次のように捉えました。それは,「過疎地域を担うリーダーの育成」,「異年齢集団・異世代集団におけるリーダーシップの養成」,「コミュニティ・スクールとコミュニティ・リーダーの育成」,「新しい学校統合モデルの開発」の必要性です。
また、釧路キャンパスでは,道東の教育課題に取り組む教員養成を目指し,令和元(2019)年度から3つの専攻を「地域学校教育実践専攻」に統合し,教科横断・地域協働型の教員養成カリキュラムを開発・実践することにしました。本校は,釧路キャンパスの教員養成を実現するため,1年次からの「教育フィールド研究」や「基礎実習」「教育実習」,卒業研究,修了研究等の学生の学びの場としての役割を果たしています。
附属釧路小・中学校では,こうした大学のビジョンや釧路キャンパスの教員養成の動向を踏まえ,「教員需要の減少期における教員養成・研修機能の強化に向けて-国立教員養成大学・学部・大学院,附属学校の改革に関する有識者会議報告書-」(平成29(2017)年8月29日)に示された附属学校の課題を受けて,大学と釧路キャンパス,附属学校が一体となった改革を進めてきました。
そして,平成30(2018)年度から研究テーマを「道東に根ざし9年一貫したリーダーシップ・フォロアーシップの育成」とし,今後の北海道における学校のモデルとして,地域を担う人を育てる上で,誰もがリーダーになり,フォロワーになる「リーダーシップ・フォロワーシップ」を育成する力とした義務教育9年間のカリキュラム・マネジメントを研究・実践することにしました。
地域を担う人を育てるリーダーシップ・フォロワーシップ育成のためのカリキュラム・マネジメントは,地域の人やもの,ことと関わりながら,地域の課題を探究する「地域学プロジェクト」としてデザイン・実践されます。保護者の方々はもとより,地域の多様な人的及び社会的資源とのネットワークを構築しながら,地域の価値を発見・創造していくコミュニティ・スクールとしての学校を目指していきます。
校章について
全体の形は五角錐台を表し、五角に本校の五つつの教育目標を表し、角錐台はそれぞれの陵が、やがて一つの頂点(大目標)に到達するであろうという可能性を表している。中の字のデフォルメは、とぎれることなく永遠に続くという意味をもっていて、これは教育大学の錦谷先生の助言によるものである。 五角形のデフォルメについては特に工夫をしたところである。一角を下にして、父母生徒からの要望が強かったペンの形を表すとともに、力感が全体的に上にあるがごとく、あるいは下にあるがごとくという微妙なバランスを持たせているわけであり、その効果によって、現代的なセンスと伝統的なセンス、シャープな力強さと素朴な力強さを出そうとしたわけであり、この五角形は自慢できる独創的な形である。しかし、この効果は先に述べたように大変に微妙なわけでデフォルメの寸分の狂いにも全体のバランスがくずれるために、この形を使った器物の作成を業者に依頼した際はいろいろとうまくいかなかったりもしたが、現在の校旗・標旗・帽章・襟章などは満足できるものである。
校歌について
第一節は朝日の照り映える校舎にこだまする若々しい生徒の声ではじまる。責任を胸にしかと抱き、人生を新しく切り開く若者のたくましさとともに、新設校の決意をも描いた。「われらわれらおおわれら」を各節の末尾で反復し、団結する力強さを強調した。第一節は若者の出発でもある。第二節は若い力の発展と充実である。「樹樹の緑」は青春のシンボルであり、「におう」は古語の「にほう」で「色艶よく美しい」であり、若者の純真な清潔さを示している。「肩組んで」は団結で、「共に高まろう」の意である。「ひとみこらして」で「個性的」なものを暗示し、「鉄の力あふれるもの」はいうまでもなく「たくましさ」を表現している。時は昼、青葉に夢が流れる青春の季節である。
第三節は中学生活の収穫であり、ある意味での完成である。「潮騒」と「とよもし」とは古語で、古典語が桜ヶ岡の風土を描いた。「三つ星」は北国の寒風にきらめくオリオンで、北海道の輝く学校たらんことを予祝したものである。「あすの希望心豊かに高くかかげてはばたこう雲に」は「広く豊かな心」と、理想に向かって大空にはばたく若鷹ような若者の姿を歌い上げた。「眉清い生命燃えるもの」も純粋な、情熱あふれる若者の容貌である。
(作詞者 故 岩清水 尚 教授の言葉から)
歴代校長
北海道教育大学附属釧路中学校● 初代校長 | 奥野 明 (おくの あきら) |
(昭和44年4月1日~昭和52年4月1日) |
● 2代校長 | 星野 喜久三 (ほしの きくぞう) |
(昭和52年4月2日~昭和61年4月1日) |
● 3代校長 | 伊藤 裕三 (いとう やすぞう) |
(昭和61年4月2日~平成4年4月1日) |
● 4代校長 | 小山内 洸 (おさない たけし) |
(平成4年4月2日~平成8年11月30日) |
● 5代校長 | 矢作 裕 (やはぎ ひろし) |
(平成8年12月1日~平成14年4月1日) |
● 6代校長 | 岡嶋 恒 (おかじま つねし) |
(平成14年4月2日~平成18年4月1日) |
● 7代校長 | 比良 輝夫 (ひら てるお) |
(平成18年4月2日~平成21年10月2日) |
● 8代校長 | 浅利 祐一 (あさり ゆういち) |
(平成21年10月3日~平成25年3月31日) |
● 9代校長 | 杉山 佳彦 (すぎやま よしひこ) |
(平成25年4月1日~平成28年3月31日) |
●10代校長 | 酒井 多加志 (さかい たかし) |
(平成28年4月1日~平成30年3月31日) |
●11代校長 | 早勢 裕明 (はやせ ひろあき) |
(平成30年4月1日~令和3年3月31日) |
● 初代校長 | 内山 隆 (うちやまたかし) |
(令和3年4月1日~令和5年3月31日 ) |
●2代校長 | 早勢 裕明 (はやせ ひろあき) |
(令和5年4月1日~ ) |
学校運営および教員の組織
職名 | 氏名 | 担任・所属 | 校務分掌 | 教科 |
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校 長 | 早勢 裕明 | 数学科 | ||
副校長 | 田中 陽一 | 理科 | ||
主幹教諭 | 更科 結希 | 9年 | 主幹教諭(校内教頭)・総務部長 | 美術科 |
教 諭 | 三光楼 正洋 | 9年B組 | 指導部 学年主任 | 理科 |
〃 | 野口 朝央 | 7年B組 | 研究主任 | 数学科 |
〃 | 齊藤 貴文 | 7年 | 教務主任 | 音楽科 |
〃 | 河津 雅幸 | 7年A組 | 教務部 学年主任 | 理科 |
〃 | 山本 勇太 | 8年 | 生徒指導部長 | 保健体育科 |
〃 | 市林 竜 | 9年A組 | 情報化推進委員長 研究部 | 英語科 |
〃 | 足立 英世 | 9年 | 教務部 | 国語科 |
〃 | 眞島 良太 | 8年C組 | 教務部 学年主任 | 社会科 |
〃 | 松永 悠佑 | 8年A組 | 指導部 | 数学科 |
〃 | 広瀬 卓也 | 8年B組 | 指導部 | 英語科 |
〃 | 澤田 康介 | 9年C組 | 指導部 | 社会科 |
〃 | 佐々木 来望 | 7年C組 | 教務部 | 国語科 |
〃 | 栁澤 知優 | 英語科 | ||
(期)養護教諭 | 外崎 博恵 | 全学年 | 指導部 | |
養護教諭 | 伊藤 千明 | |||
(期)教諭 | 安田 京巳 | 8年 | 技術・家庭科 | |
(期)教諭 | 若林 幹浩 | 7年 | 英語科 | |
講師 | 大西 美衣子 | 全 | 保健体育科 | |
〃 | 平野 宏祐 | 全 | 数学科 | |
〃 | 久松 伶奈 | 全 | 国語科 | |
〃 | 斉藤 優太 | 全 | 理科 | |
〃 | 福田 環 | 全 | 国語科 | |
〃 | 二本柳 歩花 | 全 | 保健体育科 | |
時間講師 | 竹ヶ原康弘 | 国語科 | ||
ALT | スティーブ・グッド | |||
事務係長 | 竹内 路博 | |||
用務員 | 佐藤 丈典 | |||
事務補 | 寺本 裕美 | |||
校務補 | 大澤 美保 |